食の安心、安全という課題は「循環させればすべて解決する」。思いついたときに、夜も眠れないほどだったその思いに駆られて活動を開始したたいらさん。そこからの組織や仕組みづくりは本当に一歩ずつ、試行錯誤と努力を積み重ねる日々。「この活動は何のため? なぜ私がやるのか?」―走りながら、結局はこの根源的な問いに向き合う……そのころのたいらさんのお話です。
撮影/原 幹和

みなさん、こんにちは。たいら由以子です。
これまでの3回で、わたしのことをずいぶんお話ししてきました。
父の余命宣告から始まった食事療法のこと。その経験が、コンポストや食の循環に取り組む原点になったこと。母がずっと続けていた堆肥の「発見」と、ごみが食べものになって返ってくる循環のイメージがスッとつながった日のこと。そして、その循環を広げようと「半径2キロ」という発想にたどり着き、NPO活動を続けてきたこと。
でも実は、その25年のあいだ、わたしにはずっと一つの信念がありました。
今回は、その話をしようと思います。
「わたし」を、消してきた
NPO活動では、わたしは意識的に「わたし」という言葉を使いませんでした。「わたしたちの活動」「わたしたちのビジョン」——いつも主語は「わたしたち」。
それほど徹底して、「わたし」を遠ざけていたんです。
「NPO活動でカリスマを作るのは危うい」、とずっと思っていたんです。
特定の人に依存した組織は、その人がいなくなった途端に崩れる。
だから「わたし」ではなく「わたしたち」。それが正しいと信じていました。
その信念が、ある時、根こそぎ揺さぶられました。
「なぜ、あなたが?」
LFCを株式会社にする前の2015年のことです。
「社会イノベーター公志園」という、事業で成功した方々が、全国から集まったイノベーターに伴走しながら、彼らを半年かけて育てるプログラムがあり、それに九州代表として参加しました。
勝ち抜き戦を重ねて、最終的に13人から5人に絞られました。わたしはその5人の一人として、早稲田大学の講堂で2000人の前に立ちました。
そのプロセスのなかで、わたしはずっと同じ問いを突きつけられ続けました。

「なぜ、あなたがやるんですか。」
活動の内容を話すのではなく、あなた自身の動機を話してください、と。
それまでは、「なぜそこまで自分がするのか」と問われることがなかったんです。
がんばってるね、とか、活動が成功するとかしないとか、そういう話をしてくる人はいました。
でも、この問いは違った。「わたし」を主語にして、「わたしがなぜこれをするのか」を語らなければならない。
全部の細胞が、再組成された
何度も問われ「わたし」に戻ったとき、思いがふわっと溢れてきた。同じことを喋っているはずなのに、言葉が変わった。整理されていく感覚。何をするべきかが、シンプルになっていく。——あのプロセスは、「わたし」という人間は変わらないんだけど、全部の細胞が再組成されるような——そんな体験でした。
そこで気づかされたのは「わたしたち」で語ることは、謙虚なことじゃない。むしろ、逃げていたのかもしれない、ということ。
この活動を25年続けてきたのは、確かに「わたし」です。父を見送った後の台所で最初にコンポストを始めたのも、車で走り回って無農薬の野菜を探したのも、フリーマーケットを続けたのも——ぜんぶ「わたし」の体験だった。それなのに、「わたし」と言うことをずっと怖がっていた。「わたし」が前に出ることを、ようやく自分に許すことができた——そんな感覚でした。

人前で泣く
そんな「わたし」の変化は、スタッフとの関係にも表れていました。
じつは40代後半、50歳になっても、人前で泣くことが何度かあったのです。
子どものころは、大人になったら泣かないと思っていた。なのに、自分の思いを伝えようとするとき、みんなの前で泣いてしまう。そんなことが、何回かあって。
今はなぜ泣いてしまったかがわかります。だんだん自分の中が整理されていくから、起きることなんだと。
「わたし」が整理されていくから、スタッフにやりたいこと、やるべきことが伝わりやすくなったのです。
そんな「わたし」にスタッフが共感してくれて、それぞれが、「自分が」何をすべきかを理解してくれた。そして、次のステップにわたしを送り出してくれた。

手段は、何でもいい
NPO活動では“公民館レベル”を抜けきれないもどかしさもありました。
とにかく、社会的に認めてもらうには商業ベース、つまり収益を上げることが必要だと思っていたし、キャッシュポイントをつくらなければ活動は続かない——そういういくつもの必然的な要素が重なって、「やってみようか」という賭けに出て、株式会社にしたのです。
株式会社にすることへの抵抗は、まったくありませんでした。「社会イノベーター公志園」でのあの経験があったから、なおさら。
NPO法人であることも、株式会社であることも、あくまでも手段。わたしが選んでいるのはコンポストであり、循環する暮らしです。会社にすれば、NPOより目的を達成させるためのスピードを得ることができる。何をしたいか、すべきかが、すごくわかりやすくなる。
53歳で、一人になって
その時私は53歳でした。NPOを残したまま、わたし一人で新しい会社を立ち上げました。
30歳のころは、10年後には半径2キロで好きなことをして暮らしていると思っていた。なのに53歳から、またゼロから始めた。60歳になってもまだがんばり続けなければならないと思ったら、心は安らがない。
本当は今でもそう思います。
でも「なぜわたしがやるのか」という問いは、もう怖くなかった。父の命が教えてくれたこと。母の堆肥が見せてくれた循環。25年歩き回って出会ってきた、台所から変わっていく人たちの顔。それが全部、「わたしがやる理由」になっていたから。
「わたし」という言葉を使うことと、カリスマになることは、違う。一人称で語るのは、自分を売り込むためじゃなく、自分が見てきたものに責任を持つためだ——そう気づいたのが、あの頃でした。
次回は、「わたし」がつくったコンポストバッグ誕生の話をしようと思います。
●著者紹介
たいら由以子(たいら ゆいこ)さん
福岡市生まれ。大学で栄養学を学んだ後、証券会社に入社。結婚後に地元の福岡に戻り、父親との別れをきっかけに「栄養循環」を半径2㎞単位で作ることで持続可能な食の仕組みを構築することを決意。1997年よりコンポストの普及とコンポストの人材育成事業を展開する。ローカルフードサイクリング株式会社代表、LFCコンポスト代表を務める。
●たいらさんの新刊「おいしい循環」をご紹介しています。ぜひご覧ください。
●「地球にいいことの始め方-台所から始める、循環させる暮らし」記事一覧
vol.1 父の命が教えてくれた、食べものの本当のちから
vol.2ずっとそこにあった母のたい肥
vol.3半径2キロの魔法〜主婦の生活圏で完結する循環のかたち~














